2010年09月07日

あなたは奇跡を目撃する



というわけで和製ロードムービーの金字塔となるか?「ヘブンズドア」について語ります。

え〜、この映画、外国映画のリメイクということでジャニーズお得意のケーススタディ商法(過去の成功例をそのままいただく)にピッタリはまった企画ながら原作の日本の土壌に合わない部分をうまく処理しなければならない点が多々ありまして、映画全体の雰囲気は原作より同じドイツ映画でロードムービーの元祖ヴィム・ヴェンダース作品にならったような感じになってます。特に原作と最も違う点、主人公の相棒が三十路男から中学生くらいの少女に変わってる点などもこれにより「都会のアリス」へのオマージュみたいになってうまく処理できますた。(他にも「ベル天」や「時の翼に乗って」のナスターシャ・キンスキーもうまくサンプリング)



この男の子の妄想が具現化したようなナスターシャ・キンスキーの天使を若き和製絶叫クイーン(だってキメ台詞が全部絶叫なんだもの)の福田麻由子嬢がどう処理して演じるか?というのがこの映画の最大の見せ場になってますね。

んで、上記のベースに恐らく監督のマイケル・アリアスの趣味だと思いますが相米慎二の「セーラー服と機関銃」や「ションベンライダー」のオマージュが散りばめられてて(だから薬師丸ひろ子がカメオ出演)うまく原作を「和」のテイストに昇華することに成功。なかなか凝ってますな。


さて、内容ですが、余命3日くらいの長瀬智也演じる勝人が海を目指す目的が同じく余命幾ばくもない福田ちゃん演じる春海とは微妙に違ってるとこが肝ですね。

勝人にとって海は帰るべき場所、彼は時間を逆行して生まれたままの自分に戻りたかったわけですね。

対して春海ちゃんはですね、海は辿り着く場所なのですよ。なんとなく余命短い自分に人生の全てを教えてくれる場所と認識してるっぽい。

んで、春海ちゃんは最初は死と向かい合うのに抵抗がある感じでして、病院の外の世界で健康な人たちを大勢見てるうちに焦燥感にかられて、短命の我が身をはかなんでみたりします。

さて、物語は終盤にさしかかっていよいよ海が近づいてきますと、過去のしがらみを捨てて純粋な少年のようになった勝人はどうしょうもない死の恐怖にかられてしまいます。何しろ海こそがこのお話では天国の扉なのですから。

そんな勝人を慰め励ましてあげるため、遂に自身の運命に対してはふてくされていた態度をとっていた春海は自身の運命や死や世の不条理等、世界の全てを受け入れる決断をするわけです。若くしてもはや老境に達したわけですな。

そして死の恐怖と孤独感に打ちひしがれた勝人にまるで母親のようにこうささやきかけます。

「大丈夫だからね(死はこわくないからね)」

そう、人生の苦悩の全てを世界の全てを受け入れて老境にまで達した彼女は


「大霊界」の丹波哲郎と化したのです。


1969年 アメリカでは「イージーライダー」においてピーター・フォンダはキリストとなりアメリカの罪を背負った。

2009年 日本では14歳の少女が丹波哲郎となり友人を死の恐怖から救った。




奇跡です。


まさに奇跡です。日本映画がどんなに荒唐無稽なプロットを思いついても決して辿り着けない境地がそこにあったのです。




最近では「日々成長」なんて言葉が日常的に使われるようになって「成長成長」とやかましい昨今なわけですが、確かに人間は若いときは肉体的に成長しますがそれは20歳を境に衰えに変わります。そして経済は確かに成長させられますが、これとて無限に成長させることはおそらく不可能でしょうし、それを行う意味もないでしょう。

バブルの頃はどこまでも日本が成長し膨れ上がっていくと誰もが思っておりましたがご覧の通りバスト(破裂)が起こりました。

「人間は努力すれば強くなれる大きくなれる」みたいな思想というのを叫ぶ人間もいるけれど「そうかな〜?」という懐疑心が多くの人の心に起こってこれが「難病映画」が売れる基盤になった、というのが僕の推測ですが、本当の意味での成長というのは「縮小、衰退、老化、退廃そして死」といった人生のそして世界のネガティブな面をも受け入れる勇気を持つことではないか?というのがこの映画のテーマではないかと思います。

かつてドイツには発展小説という「成り上がり」をテーマにした小説ジャンルがありましたがそれは20世紀初頭には否定されました。「人間は自分の力では1cmも背を伸ばせないし、他の誰かになることもできない」という結論だけが残ったのです。そういう経緯があってこの映画の原作のドイツ映画「ノッキンオン〜」みたいな映画があるわけでこの映画を通じて「日々成長」「努力すれば◯◯になれる」みたいな風潮に疑問を投げかける気持ちが日本人の中に生まれてくれればありがたいです。


最後に 

長瀬 
黒の革ジャケットにジーンズ、インナーに赤のシャツを持ってきて袖口、襟、裾から出すことでアクセントとする。さらに赤シャツの裾をジャケットとジーンズの間にかますことで「黒と青」というマズい組み合わせを巧みに回避。最後は茶色のフェドラ帽とブーツで上下を合わして統一感を出す。

福田たん
濃い青のスパッツから始まって上に行くに従ってグラデーションになるようにインナーをコーディネート。首元の空色マフラーで上下の統一感を出す。ジャケットは市原悦子が二時間サスペンスで着るようなグレイのものながらフードについたファーの白と帽子の白が合わすことでジャケットのババ臭さを見事に打ち消して全体に馴染ませる。


ちゅうようなどう見てもプロがコーディネートしたような衣装の着こなしをモッサイお兄ちゃんと闘病中のお嬢ちゃんがするとはとても思えませんよね。
posted by fabrice du monde chien at 19:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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