2010年03月28日

予想します



ちょっと色々な理由で評価しかねる(個人的に嫌いというだけではなくオススメもしかねる)ノーラン兄弟の「バットマン」シリーズ、「ビギンズ」「ダークナイト」なんですが、最新作の「ゴッサム」はこんな感じになるぞ!というのを予測します。

まずですね、一作目でストーリーの全体像が見えてきて主人公のアイデンティティが確立されるんです。そして、2作目でその設定を覆す事態が発生する(多くは主人公のアイデンティティが崩壊するというパターン)んですね。そしてピンチに追い込まれて最終章の第三作目に続くのがスターウオーズあたりからよく用いられるパターンです。

このシリーズの場合ですと、第一作では敵役がラーズ・アル・グールとスケアクロウという二人出てきますし、2作目でもジョーカーとトゥーフェイスで二人出てきます。

現在報じられている第三作の悪役はペンギン(ショーン・ペンを起用できなかったのが致命的)だけなので残る一人は誰か?というところが焦点だと思うんですよ。


さて、三部作の三作目というと大概が第一作の設定が必ず復活して、風呂敷をたたむようにしてうまくまとまって話が終わるんですが、おそらくバットマンにおきましてはバットマン誕生に深く関わった悪役の

ラーズ・アル・グールの復活があるかと思われます。


原作ではこの人不死身ですしね。行き着くとこまで逝って孤高の人となったバットマンの前に立ちふさがるのはやはりこの人でしょう。そしてバットマンは自らの運命を断ち切って究極のヒーローとなれるのでしょうか?というところが見どころになるんでしょうな。



ま、どのみち僕は観に行かないと思いますけどね。この映画。
 
posted by fabrice du monde chien at 21:32| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

えらく印象が違う



いや〜、やっと見れた、「13金」のニューバージョン。
これはホラー映画ファン必見かも。今回のジェイソンって昔のイメージかなり払拭してるもんな。

ジェイソンというと暗闇からそ〜っと出てきて一撃で人殺す怖い人なんだけど動きが鈍いし凝った必殺仕事人みたいな殺し方なんか全然できない鈍臭さがあったんですよね。

ところが今回のジェイソンは体格もスリム、動きは速いしなにより狡猾に相手を追い詰める知能犯なんですよ。

この変化はレザーフェイス、ブギーマンのスラッシャー千両役者の新世紀バージョンでの変化の中では一番極端に変わってるんじゃないですかね?

ただ、今回のジェイソン、地域住民と仲良くしてた形跡があったり、自宅を持ってたり(電球を購入して自分で交換するくらいの生活力がある)と何か普通の田舎の変わり者としてある時期まで生活してたんではないか?と思わすシーンが多々あってものすごく気になってたんですがこの伏線は結局回収されずにホッケーマスク被ってからは昔ながらのジェイソンになって終わりなんですよね。残念。


ヒロインの一人はジェイソンの心の闇に触れることができるらしいので、最初の脚本では

田舎で悲しい過去を引きずってひっそり暮らすジェイソン君が自身の生活圏に踏み込んだよそ者を追い払うための自衛のための行為から殺人に目覚め、ヒロインとの出会いがトラウマを呼び覚まして近隣との断絶を生み、殺人鬼ジェイソンとして覚醒していく

なんてなストーリーだったのかなぁ、と思ってしまいましたけどね。
犠牲者の一人で親の財産を武器に友人たちに対して威張り倒すいやな男が出てくるんですが、おそらくコヤツがジェイソンと表裏一体の関係にあるとするともの凄くスッキリするしね。

今回の作品、新機軸を打ち出した割に正直殺し方に捻りが(後半になるにつれて)弱くなってるし、も一つの部分もたくさんあるので次回作に期待します。今回の新機軸はそれくらい(次回作にかなり期待が持てるくらい)面白い効果をもたらしたと思います。
posted by fabrice du monde chien at 00:51| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

シャカイの敵



さて、前回の続きなんですけどね、「アウトローの伝説はアメリカ人にとっての神話でありアウトローは神話の中に登場する神々である」とか言われても映画観る人はわかんないですよね?

でも、この映画の場合は普通にアクションがすごくてロマンスもいい感じという映画としての面白みも満載なんすけどアクションに関してはガンフェチで有名なマイケル・マン監督だから凄くて当たり前としてロマンスの部分がスキが無かったです。というのもヒロインの肉付けがしっかりしてたから。

大体こういう映画のヒロインって「ごくごく普通の女性」って設定が多いんですがこの映画の場合はネイティブ・アメリカンという非差別民を設定することで社会派としての切れ味を出してるところが凄いところなんす、マジで。

ネイティブ・アメリカン、つまりインディアンに対する差別ってあまり日本人にはピンと来ないんですが、わざわざ日本に帰化した人でも川○カ○ヤとかいることからもわかるように結構ひどいですよ。
こういう生まれついての宿命からの開放をデリンジャーに求めるヒロインの心情ってのも手伝って「犯罪者の情婦」という見苦しいイメージから開放されて「この女性はそこのあなたやあなたみたいにただ単に(差別意識からの)束縛から逃れて自由になりたかっただけなんですよ」と納得できる存在になってますわな。

そしてこの手のピカレスク・ヒーローものにありがちな展開「最初は市井の声の代表者として民衆から歓迎されてたけど活動がエクストリームになるにつれて民衆の心が離れていった」っていうのを完璧に論破してますよこの映画。

「市井の心が離れて行ったわけではなくてマスメディアが市井の声にとって代わった」というかなり醜悪な、でも紛れもない事実を鋭くえぐってるんですね。そしてその「とって代わる瞬間」をキッチリ描写してる。(これがどんな形で表現されてるかは観てのお楽しみ)

え〜、このようにしてアウトローの人たちの人生というのは映画として後世に語り継がれていくわけでしてこれは決して色あせることなくこれから先も続く映画界の潮流なのでしょう。皆様もこの機会に「アウトロー映画」の醍醐味を堪能してみてはいかがでしょうか?

それにしてもジョニー・デップは凄い俳優ですね。

posted by fabrice du monde chien at 23:05| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

シャカイの敵



さて、はてなでは書くのがもったいなくて書かなかった「パブリック・エネミーズ」について書くぞ、と。

その前にアメリカという国は近代になって建国された国なので「神話」というものがありません。
日本でいうとヤマトタケルノミコトとかスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するお話とかそういうものがないアメリカ人たちは何を精神的支柱にして生きているのでしょうか?

はい、答えは上の「パブリック〜」の主人公ジョン・デリンジャーなんかのアウトローたちのお話です。

アメリカの人たちにとってジョン・デリンジャーみたいなアウトローはスサノオノミコトやヤマトタケルノミコトにあたる存在なんですよ。だから犯罪者だからといって無下にされない。考えてごらんなさい、何が気に入らなかったのか暴れ回って天照大神を天の岩戸に追いやった須佐之男命なんて現代の法律じゃ完全にテロリストぢゃないの。ヤマトタケルノミコトだって草薙の剣持ってて銃刀法違反だし。

犯罪者のお話だからといってかまえて観る必要一個もなし。

それになんたってデリンジャーが暴れ回った時代というのは大不況で誰もがお金が無くて苦労してたのに銀行は貸し渋りに債権回収と称して貧乏人からなけなしの財産やお家を奪っていった「七人の侍」の野武士同然の悪党だったんだから(今でもか)これに対して銀行強盗という形で攻撃を加えるというのは勧善懲悪の正義の行動ととれなくもない。

それにアメリカには修正第2条という「公権力の圧力に対して武力で抵抗してもいいよ」という憲法まであるわけなんで法律を笠に着て貧乏人から身ぐるみ剥いでいく外道共を成敗しても法律には触れるかもしれないけども憲法の理念には合致してる行為と言えなくもない。

だからアメリカ人は彼らを讃え、彼らの偉業を語り継ぐわけ。

そんな素晴らしいアウトローの偉業を讃える「パブリック・エネミーズ」について詳しく書くんだけれど長くなるので続きます。
posted by fabrice du monde chien at 20:53| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

マラドーナ・フォーエバー



僕が子供の頃だったけど、マラドーナの「5人抜き」の衝撃はお子様界にとって脅威的だった。
それまで休み時間は野球に没頭してた子供たちがみんなこぞってサッカーをやりだしたのだ。それもどの学年も、だ。

その後Jリーグができたりと日本のサッカー界にも大異変が起きたりしたんだけどこの際はっきり言っておこうマラドーナ無くして今の日本のJリーグもワールドカップ進出も無かった。


それより個人的に印象に残ってるのはマラドーナが”5人抜き”や”神の手ゴール”で英国をボロクソにやっつけて世界に赤っ恥をかかしたことで80年代前半に日本に(MTVとかの影響で)蔓延してた「大英帝国絶対不可侵」の風潮に風穴を開けたことだ。
80年代はフォークランド紛争(本当は戦争です)なんていう暴力行為を行ったイギリスであるが、当時の音楽シーンは世界的にイギリスが牛耳っておりイギリスは「イケてる国」であり、対するアルゼンチンはただの南米のスッポコ谷という認識であった。

僕も子供の頃はイギリスのニューウェーブな人たちに夢中になっており、イギリス人には神の血が流れている現人神かなんかのように感じていたものだったけどもそんなUKアーティストのPVが流れている音楽番組からチャンネルを変えるとフォークランド紛争のニュースが流れてて厳めしいエグゾゼ・ミサイルなんぞが映し出されてるという実状を見てびっくりしたものである。イギリス=ジョン・レノンの生まれた国=平和主義みたいな正のイメージを巧みに利用して悪逆の限りを尽くしているというのに日本はこれに抗議する声があがらなかった。平和ボケといえばそれまでだけど「絶対不可侵のイケてる国」には声を挙げにくいというこの国の国民性なのだろう。なおこの戦争の同年に公開された「スターウォーズ帝国の逆襲」の「帝国」に対して僕が抱いたイメージは紛れもなく大英帝国であった。

んで、86年にマラドーナがイギリスをやっつけた時には僕も「正義は勝つ」と思ったものだ。悪の帝国を倒したジェダイの騎士が本当に存在したのである。
が、しかしその後のマラドーナはコカイン中毒になったりパパラッチにしつこくつけ回されて苦しんだりするわけなのだ。彼が喧嘩を売ったイギリスは世界一のマスメディア大国。世界のマスメディアもこの国の威光には逆らいにくい。イギリスにとって都合のいい情報は流れやすく都合の悪い情報は闇に葬り去られるのが宿命なのである。

んで、この栄光と挫折と大英帝国の陰謀をあますところなく紹介し、実はただのオッサンに過ぎないマラドーナに人々がなぜ神を見出す(実際南米では現人神の扱い)のか?を掘り下げるのがこの映画である。

日本でも「返せ北方領土!」みたいなことを言う人間はいるし竹島問題も躍起になってる人たちはいる。そこまで領土問題で主張するくせに、それじゃあ何故フォークランド紛争(何べんも書くがあれはイギリスが仕掛けた「戦争」である)の時にイギリスに対して抗議の声をあげなかったのか?その時抗議をあげなかったにしても今さらでいいから「ああ、あれはけしからん出来事だった」とイギリスに対して非難する発言をしてもいいと思うんだが一向に日本ではこの声があがらない。フォークランド紛争でイギリス側についた国が竹島を自国の領土だと主張するのは世間から見たらお笑い種でしかない(イギリスも韓国も「実効支配」を理由に占有を続けている)


こういうドンクサイ、生ぬるい世相(別に日本だけじゃないよ)に対してスジを通した稀有な人がマラドーナであり、主張がどうあれ手段がどうあれとことんそれを貫こうとした彼には自ずとサッカーの神が宿ったのだ、と多くの人が感じたのだろう。


いずれにしても、マスメディアに喧嘩を売り倒すピッチ上のアウトロー・マラドーナの生き様は多くの人に観て 人生の糧としていただきたいものです。

あと、ぺんぺん草みたいなヘアスタイルでヨレヨレのシャツ着てカメラが回ってるまん前で背中をボリボリと掻いて見せたりするエミール・クストリッツァ監督役のジョン・C・ライリーの演技も必見。(あ、本人か)
posted by fabrice du monde chien at 23:32| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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