2010年12月12日

フレームの枠外



いや〜、前作観てから1年足らずで続編が観れるとは日本に生まれていいこともあるもんですな。

今回は舞台を日本に移して(ごくごく一般的な住宅街のある東京都杉並区)何故か前作とよく似た内装のお家で超常現象が浴びせかけられるように観る者を襲います。

さて、今回はやっぱり日本に舞台が移ったということで新機軸を打ち立てなければいけません。そこでこの記事のタイトルにあるように「フレームの枠外」で起こったこと、というのが問題になってくるわけです。

今回、悪霊の餌食になるのはカップルではなく姉弟です。そしてお姉さんのお名前が「春花」(関係ないけど弟の方は昔のアニメ「バビル2世」と同じ名前です)ですね。

この姉弟の2人暮らし(父親が仕事で不在)という設定と姉の名前・・・・。この二つで僕が思い浮かべたのはタイトルは忘れたけど戦前の春歌です。

春歌とは要するにエッチな内容の歌のことなんですが、これが貧困に根ざした悲恋なんかも題材にされることが多く、とりわけ多いのが江戸時代から浄瑠璃で演じられてきたような「心中」ものです。

んで、心中の動機ですが昔から親が恋愛結婚に反対するケースは多かったようですがそれならば「駆け落ち」という手段がございますので多くは「身分違いの恋」というのが心中の動機として一番に挙げられるようです。日本全国どこに行っても受け入れてくれられないような事情があった、ということですな。

ただ、この「身分の違い」とかそういうのを題材にして歌を作るのは、社会的にみて非常にアレなんで歌に歌われる時にはこれを「兄と妹」とか「姉と弟」とかに変換してしまうのですよ。


さて、話は「パラノーマル・アクティビティ第2章」に戻して今回の姉と弟が2人きりになる設定の根底には「姉弟の禁断の恋」がある、ということが決してカメラには収まらない事実として描かれてますね。(もちろんそれを示す伏線は劇中わかりやすく描かれてますよ)

そしてこの禁断の恋の行方は古今東西どこに行っても「破滅」しか存在しないわけでして、ここで「パラノーマル・アクティビティ」のプロットと見事に合致してしまうんです。

このお湿り感というか濡れ事感(ご丁寧に弟役は濡れ事の大家・歌舞伎の中村家と同じ性の中村蒼くん)でうまくオリジナルを処理する技術たるや、おそらく日本という国は世界でもトップクラスに到達したと思います。

擬似ドキュメンタリーという手法を駆使して「撮る側(そして観る側)」を恐怖のどん底へ引きずり込むことでかつてない臨場感を出した前作からテーマを拡大し、画面を注意してばかりでなく「撮る側(つまりカメラの後ろ側)」の心情を理解することで初めて「真実」を垣間見ることができるという一歩突き進んだテーマを打ち出した今作。ホラー映画を文学的に考察し続けてきた身としては感無量の出来栄えでした。

そして来年には早々にアメリカ版2作目が登場するからこのシリーズからは目が離せません。そして海外の熱い声援に守られて進化を続ける日本映画からも目が離せません。


posted by fabrice du monde chien at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

今度も泣ける!!



今日は楽しいハロウィーーーン♪

というわけでとっても暗くなる映画「ハロウィン2」です。

前回はあまりにも強烈な、人間の感性をかきむしるような異色作だったのでホラー映画ファンの間でも賛否両論ありました。僕は今まで見たどのホラー映画より素晴らしい要素を含んだ傑作として評価しております。

さて、今回は殺す側 マイケル・マイアーズ と 狙われる側 ローリー の主観映像が多分に使われているわけなんですね。
人とのコミュニケーションを一切行わないマイケルは様々な幻覚を見ます。というか現実から離れた世界に身を置いているといってもいいと思います。

そしてローリーは前回の惨劇がトラウマになりながらも健気に生きようとがんばりますが、ある出来事が発覚してアイデンティティを失います。そんな彼女を容赦なくトラウマや自身の運命が襲い現実の世界から徐々に離れてしまいつつあるわけです。

そんな二人が最後に共通の幻想を見るのです!!


それも 家族の肖像 という名の!!!


すごい!そごすぎる!!

この映画、前回に続いて本当によく出来てて、絶対正義を否定して絶対悪もこれまた否定してるんですね。多くの人が頭に描くホラーの定石を粉砕して、新たな世界を築き上げているんです。それも繊細かつ緻密に。

ちなみにこのお話の元ネタなんですがローリーの家に飾ってあるポスターがかの有名なロックスター アリス・クーパーのものなんですがこの人の曲に「No more Mr. nice guy」というのがあるんです。


これとアメリカ・ホラーの巨匠 ウェス・クレイブンが昔作った「ショッカー」というのがありまして


この二つにインスパイアされてるのがよくわかるんですが(僕はどちらも好きでしたから)ここまで文芸大作として完成された作品を作るとは思っておりませんでした。ゾンビ監督は本当にどこまで逝くんでしょう?

観る人の心の奥底に宿っている繊細な部分を蹂躙する、それも獣のように乱暴にではなく緻密な罠を張り巡らして徐々に徐々に地獄の底に引きずり込む・・・。ということをイタリアン・ホラー的な手法も駆使しながら非常に真面目にやった映画なんですが、それを構成する要素というか世界観が多くの人が「繊細さとは無縁で大味でがさつ」と切って捨てるようなオール・アメリカンなものなんですね。

全てのファンの期待に応え、そして全てのファンを予測を裏切るホラー映画の傑作中の傑作。

前作も最高だったけど今作には星5つ中

夜空に浮かぶ星の数の2乗 

差し上げます。 
posted by fabrice du monde chien at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

書き忘れてました



遅くなってしまいましたが、「彼岸島」を期待しながら劇場で観なかった理由を書きます。

え〜、この映画は日本と韓国との合作で資本はアメリカのワーナーさんが出してる映画なんですね。
んで、こういう時に外国人の人というのはできるだけリアリズムを追求する意味もあって作品にちなんだキャスティングをするんですよ。
んで、この「彼岸島」は日本の吸血鬼のお話なので日本で吸血鬼といえば平安時代に京都を荒らしまわった「茨木童子」というのを連想したわけです。(実際悪のボスの 雅 は茨木童子が元ネタです)

というわけでこの茨木童子の出身地である大阪府茨木市出身の女優の水川あさみさんを劇中数少ないヒロインに抜擢するというナイスな企画ができあがるんです。

さて、茨木市には「ワーナーマイカル茨木」というワーナーさんが持ってるシネコンがあります。
出演女優には茨木市出身の水川あさみさんがいます。


これで「彼岸島」公開する時にド派手なイベントやらなきゃウソでしょうが。

でも何にもやらなかったんすよ!!(俺が知らないだけで実際はやってただけかも知れないけどね)

だから、絶対観にいくならワーナーマイカル茨木だ!!と思って他の劇場で上映スケジュールチェックしてなかったのね。でもイベントがないから全然公開してたのに気付かなくて気がついたら公開終わってたのよorz

というわけで今後、「彼岸島2」が完成した時にはですね、キャスト一同を集めてド派手な上映イベントを行ってください。ワーナーさんよろしくお願いしますよ。
posted by fabrice du monde chien at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

あンたは最高!



いやー、いろいろあって劇場では観れなかった(理由は後で書きます)「彼岸島」をとうとう観た。

いや、何をおいても

吸血鬼の王 雅 を演じる山本耕史の怪演がとにかく凄い!!

噂には聞いてたけどここまでするか?というくらい役にのめりこんでやってるんすよ。まぁ、役になりきるのはですね、役者としての仕事の全てなんですね。古代演劇は何度も書くけども「シャーマニズム」とつながってて他の魂を自分の体に宿すという宗教儀式だったんです。だから例えば能なんかだと役者は衣装の準備ができると楽屋から他の人間を追い出して一人っきりで鏡の前の自分と向き合ってその「役」(つまり魂)を自分の体に宿す瞑想的儀式を行うんです。そして能面を被ったらもうその役になりきるんです。演技というのは古来そういうものなんです。

しかし、最近では演技メソッドも進歩しまして、思いもよらない凄まじい演技を若い俳優さんがやるようになったりするわけですがこの耕史くんに至っては「雅」という架空の人物のキャラ(役)を

完全に自分の中に消化吸収して自分の一部にしてるんですよ。

あンた!それ吸血鬼よりエグいじゃないか!?と言いたくなるくらい雅でありつつ耕史なんですね。作品中は人間のダークな部分の象徴という抽象的なキャラ(であり本人もそれを自覚している)なのにこれを本当に生身の人間(吸血鬼)としてハツラツと演じてるんですね。

大体こういうキャラを演じる場合、演者は「狂気」という衣装を身にまとうのがデフォになってまして「狂人」であれば演じられるという役者さんは多いと思います。

それが耕史くんの場合公然わいせつ的に「正気」で演じてます。素っ裸状態ですよ。「あの人狂人だから(他者だから)」という高見の見物的に突き放すことが観客はできなくなって精神面でお客さんは苦しむでしょう(笑 正気の人間が普通にど悪党なんすから。

他にもですね、白塗りの大衆演劇チックな格好で太陽の下を出歩いて様になるなんてのはこの人以外には絶対ありえない絵面ですわ。

高貴さと陳腐さ。高潔さと卑俗さ。美と醜。という相反するもが混在する上に絶対的に悪の存在ながらそのくせとことん人間くさいという絶対に今までのアクション映画なら作り出せなかったキャラを見事に演じる耕史くん、個人的には「バットマン」のジャック・ニコルソン演じたジョーカーを越えて映画史上最高の悪役です。


日本(と韓国の合作)映画もとうとうここまで来たか!!とこれからの日本映画に期待が強まる一作です。そして今後「バットマン」でジョーカーが再び現れるとしたらジョーカー役は耕史御大以外はありえないと私は確信しました。

posted by fabrice du monde chien at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

そして私は騙される



いやぁ、見てしまいました。「20世紀少年」三部作全部。

見る気はなかったんすけどテレビで第一章を見てしまってそしたら続きも見たくなるでしょ?
なんで見る気なかったかっていうとだってタイトルの元ネタがTレックスでしょ?あれってヤンキーやん?
60年代後半のサマー・オブ・ラブや反体制運動のサウンドトラックとしてのロックの機能がイギリスのグラムロックやハードロックが出てきて一気に体制迎合に変わって牙を抜かれていった渦中でその体制迎合の急先鋒やったのがイギリスのTレックスやゲイリー・グリッター(彼のヘアスタイルや眉毛を剃ったりするとこはもろに日本のヤンキーに影響を与えた)なわけでこれをタイトルに持ってくるところに浦沢直樹のセンスを疑ったわけですわ。

そもそも、浦沢直樹のお話のスタイルというのが僕が大嫌いなイギリスのミステリー小説そのもので(ディテールに無駄にこだわてページ数がやたらと多いところまで一緒)だから好きな作家ではなかったです。僕の親父は何故か「MASTERキートン」の大ファンだったんですけどね(笑

んで、そんなこんなで最後まで全部見て気付いたことは


これって「20世紀少年」パクってたんだね。

あの最初にヒーローがいる寓話的プロットがあってそれに従って話が進むところといい、ヒーローが存在するためには悪役がいるっていう設定といいまんまパクリじゃん。

そっか・・・、どうりではてなやその周辺で「ダークナイト」をよいしょしてる映画ブログ書いてる連中は「20世紀少年」スルーしてたんだ・・・・。

俺は浦沢直樹が嫌いだったばっかりに、というか日本のマンガを最近読まなかったばっかりにまんまと騙されてしまったということか・・・・・。

今度という今度は言わしてもらうよ・・・。

おい!「ダークナイト」よいしょして「20世紀少年」をスルー or けなしてた連中よ!!!
お前ら毛唐が日本の芸術作品パクって不当に利益を得てるんを見て見ぬフリしてたんやないか?ふざけんな!!!非国民が!!!!おまえらみん梨ね!!!!


ということで気を取り直して(笑 原作にはない最後のおまけのストーリー(クレジットの後に出てきます)がすごい評判のいい最終章なんですが、結局ねぇ、このお話自体が「社会を変えよう!」の60年代のサイケ・フラワームーブメントから「自分を変えよう!」のニューエイジ → セカンド・サマー・オブ・ラブ へと前衛的な思想が変化していってがっくり・・・。という時代の流れを否定的に見てるフリして実は結局そんなことは決してない(大概の人々は社会変革や理想主義には興味がない、という主張がある)ようなテーマになってるんですよ。実際。
なぁんだ、やっぱりしょせん日テレか、東宝か、学会か、電通か。と思ったところで最後にこの映画はおまけが入っててこれが「社会を変えようと思わず自分を変えよう」のメッセージを強調するエピソードかと思いきや実は!壮大なる社会変革を予言するような終わり方してるんすよ。


だって、最後の最後で救世主となったあの人と実際に社会変革を成し得たあの人が仲良くなっちゃうんですよ。こうなったらやることは一つぢゃないですか!!!

「終わらないぜ、サマー・オブ・ラブ!!」みたいなラストが日本映画を支えてきた大森一樹や相米慎二らの転向左翼系映画人へのオマージュになってるからたまらない。個人的な好みを除いてもこの映画は(僕は「ダークナイト」は大嫌い)ノーラン監督の作品をはるかに上回ってると言わしていただきます!!


おまけ

細かいとこなんですが主人公の遠藤ケンヂを雪山で助けてくれる老人は名前のモデルになったフォーク・シンガー(「カレーライス」という名曲がある)遠藤賢司で、この人は「日本のニール・ヤング」と言われてた人でして、ニール・ヤングといえば私生活では革ジャン(最高級のラングリッツだそうです)着てハーレーを乗り回すバイカーなんですね。だからケンヂが乗ってたカブは音だけ昔のハーレーみたいな排気音で最後の演奏シーンでケンヂが手にするビグスビー・トレモロ付きの黒のレスポールはニール・ヤングモデルなんですよ。(似せてるだけだったけど)


posted by fabrice du monde chien at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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